ジョショウとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > ジョショウの意味・解説 

じょ‐しょう〔‐シヤウ〕【叙唱】

読み方:じょしょう

レチタティーボ


じょ‐しょう〔ヂヨシヤウ〕【女将】

読み方:じょしょう

⇒おかみ3


じょ‐しょう〔‐シヤウ〕【序章】

読み方:じょしょう

小説論文などの、本題に入る前に前置きとして置かれ文章最初の章。

物事始まり。「その事件は長い紛争の—に過ぎなかった」


徐商Xu Shang

ジョショウ
ジヨシヤウ

(?~?)

曹操将軍

建安二十四年(二一九)、曹仁の守る樊城関羽包囲され于禁の七軍も水没してしまった。そこで太祖曹操)は徐晃派遣したが、徐晃の手新附の兵ばかりで関羽対抗できなかった。太祖は(漢中から)引き揚げる将軍徐商・呂建らを徐晃元へ送り、「歩騎の集結待ってから進め」と伝えさせた。さらに殷署朱蓋らが前後して遣され都合十二将が徐晃の下に集結したので、徐晃関羽を破ることができた《徐晃伝》。

参照殷署 / 于禁 / 関羽 / 朱蓋 / 徐晃 / 曹仁 / 曹操 / 呂建 / 樊城


舒邵Shu Shao

ジョショウ
ジヨセウ

(?~?)
阜陵

字は仲膺。陳留郡の人。舒伯膺の弟、舒燮の父《孫賁伝》。

舒仲応舒仲應)と同人思われるものの、官名食い違い見られるため項を分けた

兄舒伯膺の親友殺害されたので、舒邵が報復した事件発覚する兄弟がかばい合い自分死刑になろうとしたが、二人とも赦免された。天下人々はそれを義挙だとし、美談として語った。舒邵はまた国家のために尽力したいかねがね思っていた。袁術時代、舒邵は阜陵県長になった孫賁伝》。

参照袁術 / 舒燮 / 舒伯膺 / 陳留郡 / 阜陵県 / 県長



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジョショウ」の関連用語

ジョショウのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジョショウのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
むじん書院むじん書院
Copyright (C) 2024 mujin. All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS