ジム・トンプスン (小説家)とは? わかりやすく解説

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ジム・トンプスン (小説家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/30 03:11 UTC 版)

ジム・トンプスン
Jim Thompson
誕生 ジェームズ・マイヤーズ・トンプスン
James Meyers Thompson
1906年9月27日
オクラホマ州
死没 (1977-04-07) 1977年4月7日(70歳没)
ロサンゼルス
職業 小説家
国籍 アメリカ合衆国
ジャンル ノワール
代表作 おれの中の殺し屋
ポップ1280
ウィキポータル 文学
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“ジム”ジェームズ・マイヤーズ・トンプスンJames Meyers "Jim" Thompson, 1906年9月27日 - 1977年4月7日)は、アメリカ合衆国小説家推理作家脚本家

評論家のジェフリー・オブライエンにより「安物雑貨店(ダイムストア)のドストエフスキー」と評された[1]

経歴

オクラホマ州出身。1920年、14歳の時に最初の作品となるフィクションを雑誌True Detectiveへ投稿。ネブラスカ大学を卒業後、石油パイプラインや新聞社などで働く。1940年代以降、ペーパーバック向けの通俗小説を執筆するようになった。

スタンリー・キューブリック監督の映画、『現金に体を張れ』と『突撃』に脚本家として参加。テレビドラマ『鬼警部アイアンサイド』のノベライゼーションも手掛けている。

晩年の1975年、レイモンド・チャンドラー原作の映画『さらば愛しき女よ』(ディック・リチャーズ監督)に老資産家の役で出演している。

トンプスン死後の2000年には同じオクラホマ出身の黒人作家ラルフ・エリソンの名を冠したラルフ・エリソン賞が贈られており、彼の代理で長女が受け取った。黒人犯罪者という当時のタブーに触れ、内面を高度に描写した1972年の作品Child Of Rageがきっかけと言われている。

人物

現在では暗黒小説の巨匠として高い評価を得ているものの、生前はあまり評価されず、全盛期に契約していた出版社Lion Booksに、彼あてのファンレターが来ることはついに一度も無かった。また、彼の葬儀にはほとんど誰も出席しなかったという。遺灰は飛行機で大西洋に撒かれた。

トンプスンは一般的な読者層の期待をなかば無視した異端の小説を書き続けたが、妻に 「私は死んでから約10年後には有名になっているだろう」 と言い、作品の原稿を保管しておいてくれと言い残している。1990年の『グリフターズ』他2本など作品の映画化が相次いだ。

その他

  • 英『タイムズ』紙は偉大なミステリー小説家50人の14位にジム・トンプスンをランク付けした[2]

作品と日本語訳書

脚注

  1. ^ 『ポップ1280(新装版)』 (扶桑社ミステリー文庫 2019/08 ISBN 9784594082697)に所収の評論
  2. ^ 偉大な犯罪小説家14位、ジム・トンプスン(タイムズ、2008年4月17日)
  3. ^ Lunatic at Largeの映画化を検討していたスタンリー・キューブリックが原稿を紛失してしまい、一度は幻の作品となっていたが、1999年ごろキューブリックの義理の息子フィリップ・ホッブスが記録係と共にキューブリックの遺品である書類を整理していたところ、偶然に原稿を発見したという。(ニューヨークタイムズ、2006年10月)



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