ジェリー・ブラウン (プロレスラー)とは? わかりやすく解説

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ジェリー・ブラウン (プロレスラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/15 08:23 UTC 版)

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ジェリー・ブラウン
プロフィール
リングネーム ジェリー・ブラウン
本名 ジェラルド・ブラウン
ニックネーム ハリウッド・ブロンド
黄金の人間爆弾
金髪の爆撃機[1]
身長 185cm[2] - 188cm[3]
体重 104kg[2] - 113kg[3]
誕生日 (1937-05-10) 1937年5月10日(83歳)[3][4]
出身地 アメリカ合衆国
ミネソタ州
フリーボーン郡アルバート・リー[3][4]
トレーナー チャーリー・アドコックス
ボブ・オートン[5]
引退 1983年[3]
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ジェリー・ブラウンGerald "Jerry" Brown1937年5月10日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーミネソタ州アルバート・リー出身。

バディ・ロバーツとのタッグチーム、ハリウッド・ブロンズThe Hollywood Blonds)での活動で知られる。

来歴

ミネソタ州アルバート・リーにて生誕後、母親の死に伴いアイオワを経てカンザスシティに転居[5]。そこでプロレスの虜となり、チャーリー・アドコックスやボブ・オートンの指導のもと、ボブ・ガイゲル主宰のセントラル・ステーツ・レスリングにてデビュー[5]

その後、レロイ・マクガークが運営していたオクラホマNWAトライステート地区に転出。"ダンディ" ジャック・ドノバンのパートナーとなり、髪をブロンドに染めたヒールタッグチームハリウッド・ブロンズThe Hollywood Blonds)を結成するが、ドノバンが足首を負傷して戦線を離脱[5]。後任にオクラホマ出身の若手選手バディ・ロバーツを迎え、サー・オリバー・フンパーディンクマネージャーに、1970年よりタッグチームとしての本格的な活動を開始した[5]

以降、チームのリーダーとなって若いロバーツを巧みに動かし、フロリダロサンゼルスミッドアトランティックミッドアメリカなど各地区のタッグタイトルを奪取[4]。日本には1971年10月と1974年1月に国際プロレスに参戦して、IWA世界タッグ王座に連続挑戦(1971年の初来日時には、12月2日の千葉大会において、シングルでストロング小林IWA世界ヘビー級王座にも挑戦している)[6][7]1975年8月にはロサンゼルスにてアントニオ猪木&坂口征二北米タッグ王座に挑戦、同月に新日本プロレスに来日して同王座を獲得するなどの実績を残した[1][8]

1979年秋の新日本プロレス参戦を最後にロバーツとのコンビを正式に解散して、ダラスアラバマなどを転戦後、古巣カンザスシティのセントラル・ステーツ地区にてロン・マクファーレンと囚人ギミックの覆面タッグチーム、アラバマ・チェーン・ギャングThe Alabama Chain Gang)を結成[5]1981年デューイ・ロバートソン&ルーファス・ジョーンズからNWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を奪取したが[9]、この変身は一時的なもので、ほどなくして素顔に戻っている。

カンザスシティでは1982年3月4日、ブルーザー・ブロディのパートナーとなり、アメリカ遠征中だった全日本プロレスジャイアント馬場&ジャンボ鶴田とも対戦[10]1983年5月5日にはロジャー・カービーを破ってセントラル・ステーツ地区のTV王座を獲得[11]。初のシングルタイトル戴冠を果たした同年、現役を引退した[3]

獲得タイトル

新日本プロレス
グランプリ・レスリング
  • GPWタッグ王座:1回(w / バディ・ロバーツ)[13]
NWAトライステート
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / バディ・ロバーツ)[15]
NWAハリウッド・レスリング
  • NWAアメリカス・タッグ王座:4回(w / バディ・ロバーツ)[16]
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / バディ・ロバーツ)[17]
NWAミッドアメリカ
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツTV王座:1回[11]
  • NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:4回(w / ハートフォード・ラブ、ザ・ターク、ロン・マクファーレン、ロジャー・カービー[9]

脚注

  1. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P170(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b Jerry Brown”. Wrestlingdata.com. 2013年8月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Jerry Brown”. Cagematch.net. 2013年8月23日閲覧。
  4. ^ a b c Jerry Brown”. Online World of Wrestling. 2013年8月23日閲覧。
  5. ^ a b c d e f Missing Hollywood Blond Jerry Brown is found”. SLAM! Sports (February 2, 2010). 2013年8月23日閲覧。
  6. ^ IWE 1971 Big Winter Series”. Puroresu.com. 2016年11月10日閲覧。
  7. ^ IWE 1974 New Year Pioneer Series”. Puroresu.com. 2016年11月10日閲覧。
  8. ^ NJPW 1975 Toukon Series”. Puroresu.com. 2016年11月10日閲覧。
  9. ^ a b NWA Central States Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
  10. ^ CSW March 4, 1982”. Cagematch.net. 2013年7月3日閲覧。
  11. ^ a b NWA Central States Television Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
  12. ^ NWA North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年8月23日閲覧。
  13. ^ Grand Prix Wrestling Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。
  14. ^ NWA United States Tag Team Title [Tri-State]”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
  15. ^ NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
  16. ^ NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
  17. ^ NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
  18. ^ NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。

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