シヴァージーとマラーター王国の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/01 05:53 UTC 版)
「マラーター」の記事における「シヴァージーとマラーター王国の成立」の解説
1636年、アフマドナガル王国がムガル帝国に滅ぼされると、その武将であったマラーター豪族のシャハージーはビジャープル王国の武将となり、プネーに封土を与えられた。その息子がシヴァージーである。 シヴァージーはやがてマラーター勢力を結集し、王国に対して反乱を起こし、その過程で多くの郷主を従え、コンカン地方に一大勢力を築いた。1660年以降、ムガル帝国の皇帝アウラングゼーブに直接対決を挑み、軽騎兵を巧みに操る戦法をとり、重装備の帝国軍を翻弄し、帝国領の各地を略奪した。 1674年、シヴァージーはマラーター王として即位式を挙げ、彼を祖とするマラーター王国を創始した。彼は即位に際して、マラーター・カーストがクシャトリヤのカーストと認められていることにこだわり、バラモンらにマラーターがクシャトリヤであることを認めさせている。なお、翌年には弟のヴィヤンコージーもタミル地方にタンジャーヴール・マラーター王国を創始している。 シヴァージーはデカンにヒンドゥーの復興をめざし、ムスリム勢力であるデカンのビジャープル王国、ゴールコンダ王国、北インドのムガル帝国と戦い続けたが、1680年に死亡した。
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