シュパイアー条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 14:00 UTC 版)
「東ハンガリー王国」の記事における「シュパイアー条約」の解説
1570年、ヤーノシュ2世はフェルディナーンド1世の跡を継いでいたハプスブルク家のミクシャ1世とシュパイアー条約を結んだ。ヤーノシュ2世はハンガリー王位を放棄してミクシャ1世を唯一のハンガリー王として承認した。ここに東ハンガリー王国は消滅した。その代償として、ミクシャ1世はヤーノシュ2世を「トランシルヴァニアおよびハンガリー王国の一部(パルティウム)の公」 (羅: princeps Transsylvaniae et partium regni Hungariae dominus;英: Prince of Transylvania and Lord of part of the Kingdom of Hungary) として認めた。翌1571年、ヤーノシュ2世は死去した。 シュパイアー条約は、ナジヴァーラド条約と同様に統一ハンガリーという存在の裏付けとなった。トランシルヴァニアおよびパルティウムの公ヤーノシュ2世が、ハンガリー王ミクシャ1世の臣下と規定されたからである。パルティウムは以前からサポヤイ家が支配していたが、ハプスブルク家はこれを公式に認めた。この面から見ると、ヤーノシュ2世は称号を捨て領土を獲得したといえる。 こうして成立したトランシルヴァニア公国は、結局ヤーノシュ2世の跡を継いだバートリ・イシュトヴァーン以降ハプスブルク家から離れ、再びオスマン帝国に貢納するようになった。オーストリアとオスマン帝国の間の対立に、トランシルヴァニア公国に対する宗主権の争奪という要素が加わることとなった。
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