シャルル禿頭王への奉仕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 05:42 UTC 版)
「ボソ (プロヴァンス王)」の記事における「シャルル禿頭王への奉仕」の解説
870年、西フランク王シャルル2世(禿頭王)はボソの妹リシルドと結婚した。ボソは、この結婚後、王である義兄に臣従した。同じ年、ボソはジラール・ド・ルシヨンに代わり、リヨンおよびヴィエンヌ伯に任命された。 872年、シャルル2世はボソを王位継承者であるルイ2世の執事および護衛長に任命した。さらにボソはブールジュ伯にも任命された。ルイ2世はアキテーヌの副王として君臨したが、若年であったため、王国の政治を行なったのはボソであった。 875年の秋、ボソはシャルル2世のイタリアへの最初の軍事行動に従軍した。876年2月、パヴィーアの議会でイタリアの首位の大臣および総督に任命され、公に格上げされた。彼はおそらくまたプロヴァンスの支配を託された。彼は副王として振る舞い、ローマ皇帝ロドヴィコ2世の唯一の娘エルマンガルドと結婚することで、ますます威信を高めた。
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