シベリア・エスキモーによる「発見」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/05 02:08 UTC 版)
「アメリカ大陸の発見」の記事における「シベリア・エスキモーによる「発見」」の解説
ベーリング地峡が水没し、アメリカ大陸が隔絶されてからは、新たにシベリアからアメリカ大陸へ到達する者はほとんどいなかったと考えられている。 しかし、シベリアとアラスカに住むエスキモーには、極めて多くの文化的・遺伝的共通点がある。多くのアメリカ先住民族のルーツが最終氷期にシベリアからベーリング地峡を渡ってきた人だとすれば、両者に一定の類似が見られるのは当然であるが、その類似の程度は1万年以上分断されていたとするには無理があり、最終氷期以降も交流があったはずだと指摘されてきた。 2015年、シベリアとアラスカの交流を裏付ける物的証拠が初めて発見された。アラスカスワード半島のエスペンベルグ岬の1100年ほど前の遺跡から、青銅器や黒曜石などの遺物が見つかったのである。鑑定の結果、アジアで採掘された金属が使われていることが判明し、シベリアを通じて文化的接触があったことが確認された。
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