シノマン山への転進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 01:43 UTC 版)
「独立混成第55旅団 (日本軍)」の記事における「シノマン山への転進」の解説
しかし、各梯団とも転進の途中で、米軍とモロ族の執拗な攻撃により甚大な被害を出し、旅団長の鈴木少将も戦没した。このため、旅団の指揮は参謀の武田少佐が執った。8月上旬頃に各梯団の将兵はシノマン山南方に逐次到着したが、兵力は激減し、生存者は約100名となっていた。シノマン山到着以降、残存将兵は食料と水を求めてシノマン山中を彷徨したが、その後もモロ族の襲撃と深刻な飢餓に苦しめられ、8月10日に旅団砲兵隊長の清水大尉が戦死、同25日に旅団参謀の武田少佐が戦病死するなど、主要将校らの戦没が相次いだ。武田参謀の戦病死により、旅団の指揮は第365大隊長の天明少佐が執った。
※この「シノマン山への転進」の解説は、「独立混成第55旅団 (日本軍)」の解説の一部です。
「シノマン山への転進」を含む「独立混成第55旅団 (日本軍)」の記事については、「独立混成第55旅団 (日本軍)」の概要を参照ください。
- シノマン山への転進のページへのリンク