明牛駅
(シェールヌイエ・イストーチニキ駅 から転送)
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座標: 北緯46度59分44秒 東経142度1分27秒 / 北緯46.99556度 東経142.02417度 かつて明牛駅(あけうしえき)と呼ばれていたシェールヌイエ・イストーチニキ駅(ロシア語: платформа Серные Источники)は、日本統治時代は樺太真岡郡広地村に存在し、現在のロシア統治下ではサハリン州シェールヌイエ・イストーチニキにある、ロシア鉄道シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線の駅。
歴史
- 1920年(大正9年)10月11日:樺太庁鉄道西海岸線本斗駅 - 真岡駅間開通により開業[1]。
- 1943年(昭和18年)4月1日:南樺太の内地化により、鉄道省に移管。
- 1945年(昭和20年)8月:ソ連軍が南樺太へ侵攻、占領し、駅も含め全線がソ連軍に接収される。
- 1946年(昭和21年)
- 2月1日:日本の国有鉄道の駅としては、書類上廃止。
- 4月1日:ソ連国鉄に編入。ロシア語駅名は「シェールヌイエ・イストーチニキ」。
日本統治時代の駅名の由来
当駅の所在する地名からであり、地名はアイヌ語の「アッ・ケプ・ウシ・イ」(オヒョウ(ニレ)の皮を採る所)による[2]。
運行状況
1999年以降、この駅では旅客サービスは行われていない。それ以前は、TG16ディーゼル機関車を繋げたローカル列車が当駅からホルムスクまで運行されていた。
日本統治時代
隣の駅
- ロシア鉄道
-
シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線(旅客運行無し)
- プラヴダ=サハリンスカヤ駅 - シェールヌイエ・イストーチニキ駅 - ポルヤコヴォ駅
日本統治時代
脚注
- ^ 鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)、p.321
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.61
固有名詞の分類
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