シェーファー死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:51 UTC 版)
「コロニア・ディグニダ」の記事における「シェーファー死後」の解説
しかし、軍政期からシェーファーの死、そして現在に至るまで、「ビジャ・バビエラ」はエルナン・ラライン(英語版)というピノチェト派の強力な弁護士による保護を受けている。ララインはコロニアによる拷問、小児に対する性虐待、反軍政派に対する行方不明など、いかなる告発も握り潰し、唯一捜査が入った1996年においても強力な弁護を敷き、守り通した。 なお2018年にエルナン・ララインは新たに就任したチリの大統領によって司法・人権大臣に任命され、コロニアにおけるこれまでの人権侵害捜査の総責任者となった。すなわち、1970年代から80年代にかけての軍政時代及び軍政後から21世紀を過ぎた現在まで、「コロニア・ディグニダ=ビジャ・バビエラ」を守り続けた人物が、新しい政権の被害者救済及び行方不明者捜索の総責任を負っている。
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