ザ・リバティーンズ以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/10 04:56 UTC 版)
「カール・バラー」の記事における「ザ・リバティーンズ以降」の解説
2004年12月、ドハーティ抜きでバンドを続けたいとは思わないこと、ドハーティの「健康上の問題が今もなお継続中である」ことなどを理由として、バラーはリバティーンズを解散した。2005年、バラーは耳の後ろの腫瘍を除去するために手術を受けることとなり、回復に数週間を要した。腫瘍と手術の結果により、彼の聴力は幾分失われることとなった。 2005年2月、リバティーンズはNMEの最優秀ブリティッシュ・バンド賞を受賞し、受賞スピーチにおいてバラーはドハーティに言及するコメントを捧げた。その数日後、バラーがソロ・アーティストとしてヴァーティゴ・レコード・レーベルと契約したことが公式に発表された。 バラーのソロ・アーティストとしての最初の仕事は、ヨーロッパのデュオ、クライアントのシングル "Pornography" にヴォーカルを提供することだった。バラーは2004年からロンドンのクラブ・イベント「ダーティ・プリティ・シングス」を主催し、DJとして定期的に出演した。バラーは2005年7月に、さまざまなミュージシャンが自分に影響を与えたアーティストたちの楽曲を取り上げるトリビュート・アルバムのシリーズ "Under the Influence" の一環としてアルバムをリリースした。 2007年4月12日、ピート・ドハーティとカール・バラーはロンドンのハックニー・エンパイア劇場で行なわれたドハーティのギグ "An Evening with Pete Doherty" セカンド・セットで13曲を共演した。コンサートの終演後、バラーとドハーティは中折れのフェルト帽子(リバティーンズの楽曲 "The Good Old Days" への象徴的な言及)を交換した。
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