ザ・カーナビーツ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 20:20 UTC 版)
詳細は「ザ・カーナビーツ」を参照 1969年5月、「ザ・カーナビーツ」に2代目ボーカリストとして加入。テレビ番組ではフジテレビ「ザ・ヒットパレード」にも出演した。TBSテレビ「ヤング720」ではレッド・ツェッペリンの「Communication Breakdown」をソロで歌唱した。当時のクレジットは<永岡和彦>または<ポール岡田>であった。 カーナビーツ在籍時のレコーディングは、ラスト・シングル曲「テルテル天国」(コーラス参加)とフィリップ・レコードのコンピレーション・アルバム収録のビートルズのカバー曲「GET BACK」(ソロ)とゾンビーズのカバー曲「ふたりのシーズン」(コーラス)のみであった。 計10枚のシングル・レコードを発売し、1969年9月にザ・カーナビーツは解散する。最後の演奏は銀座ACBの夜の部であった。
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