ザンギー朝仕官時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 15:36 UTC 版)
「イマードゥッディーン・アル=イスファハーニー」の記事における「ザンギー朝仕官時代」の解説
彼はシリアでザンギー朝のヌールッディーン・マフムードの事実上の宰相であったカマールッディーン・ムハンマドの知遇を得ることに成功し、またイマードゥッディーンのおじであるアジーズが当時ザンギー朝の高官であったナジュムッディーン・アイユーブ(サラーフッディーンの父)の知り合いであったという縁もあり、ザンギー朝に仕官することになる。 カマールッディーンの推挙により、彼は公文書の起草に携わることになった。イブン・ハッリカーンによれば、彼はこの仕事において、アラビア語もペルシア語も等しく巧みに使いこなしたという。イブン・ハッリカーンは、サラーフッディーンとイマードゥッディーンが交流を深めたのもこの頃のことであるとしている。 ヌールッディーンの信頼も厚かったようで、機密を預かる立場となってバグダードのカリフへの使節へ登用されたり、学院の教授職に任じられたり(この学院は彼のためにヌールッディーンが建てたものである)、また国務長官も務めるなど重要な職務を歴任した。ただ、今回も主君の死に伴う混乱があり、ヌールッディーンが亡くなると、政敵による攻撃を受けたため彼は再びバグダードへ向かった。
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