サン・ホセ・モゴテの絶頂と放棄
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「サン・ホセ・モゴテ」の記事における「サン・ホセ・モゴテの絶頂と放棄」の解説
ロサリオ相(Rosario;700B.C.~500B.C.)になると人口は1300~1400人ほどになったと推定される。この時期のサン=ホセ=モゴテの首長は、翡翠の装飾品を身につけるようになり、頭蓋変形や黒曜石を針のように鋭く加工した「短剣」で放血儀礼(Bloodletting)を行っていたと考えられる。首長は、中庭のある日干し煉瓦の家に住み、彼らの遺体は墓に埋葬された。ロサリオ相の終末期には、象形文字を刻んだ石碑が建てられるようになる。その好例は、神殿と思われる公共建造物の入り口の敷居部分から発見された石碑3号であり、犠牲に捧げられた捕虜の姿とその名前(「一の地震」と読める)が刻まれていると考えられている。サン・ホセ・モゴテは、500B.C.頃放棄されたと考えられ、首長と住民は、モンテ・アルバンの建設に携わったとする説が最近では有力である。
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