サラボージー2世とは? わかりやすく解説

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サラボージー2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/21 14:30 UTC 版)

サラボージー2世
Sarabhoji II
タンジャーヴール・マラーター王
タンジャーヴール藩王
サラボージー2世
在位 1787年 - 1793年
1798年 - 1832年
戴冠 1787年
1798年6月29日
別号 ラージャ
出生 1777年9月24日
タンジャーヴール
死去 1832年3月7日
タンジャーヴールタンジャーヴール城
子女 シヴァージー (タンジャーヴール藩王)
王家 ボーンスレー家
王朝 タンジャーヴール・マラーター王国
父親 トゥラジャージー2世(養父)
宗教 ヒンドゥー教
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サラボージー2世マラーティー語:सर्फोजी, タミル語:சரபோஜி, :Sarabhoji II, 1777年9月24日 - 1832年3月7日)は、南インドタミル地方タンジャーヴール・マラーター王国及びタンジャーヴール藩王国の君主(在位:1787年 - 1793年1798年 - 1832年)。セルフォージー2世(Serfoji II)とも呼ばれる。

生涯

サラボージー2世

1787年1月23日、サラボージーは王であるトゥラジャージーの養子となり、同年に父王が死亡したことにより、その王位を継承した[1]

1792年7月2日、叔父で摂政のアマル・シングがイギリスと軍事保護条約を締結したため、タンジャーヴール・マラーター王国は藩王国化し、サラボージー2世は藩王となった[2][3]

1793年、イギリスのマドラス知事により、アマル・シングが養父の正統な後継者とされたためにサラボージー2世は廃位され、アマル・シングが藩王となった[4]

1798年、サラボージー2世が王位を主張したことから問題が発生し、同年6月29日にアマル・シングは退位し、サラボージー2世が復位した[5][6]

1799年11月26日[7]、サラボージー2世はイギリスと新たな軍事保護条約を締結し、タンジャーヴール城を除き、全土に対する統治権を委譲した[8]。その代わり、彼には莫大な年金と土地の5分の1収に相当する入を毎年受け取ることとなった。

19世紀初頭になると、第二次マイソール戦争によって破壊された国土もようやく復興が始まり、サラボージー2世の治世に明るい兆しが見えてくるようになった。

サラボージー2世は最新の印刷技術を印刷所を建設して、様々な分野に関する図書を公表し、首都タンジャーヴールにあるサラスヴァティー・マハル図書館の拡張に成功した[9]。また、サラボージー2世は医療技術の拡充に努め、白内障といった眼科治療を研究させ、それを実践し手術した[10]

1832年3月7日、サラボージー2世は死亡し、息子のシヴァージーが藩王位を継承した[11]

人物

サラボージー2世は多様な言語の博学者であり、タミル語テルグ語ウルドゥー語ペルシア語といったインド圏の言語みならず、英語フランス語ドイツ語デンマーク語ギリシア語オランダ語ラテン語まで堪能した人物であった[12]

脚注

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  1. ^ Tanjore 4
  2. ^ Tanjore 3
  3. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.206
  4. ^ Tanjore 3
  5. ^ Tanjore 4
  6. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、pp.207-208
  7. ^ Tanjore 4
  8. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.208
  9. ^ Tanjore 4
  10. ^ Tanjore 4
  11. ^ Tanjore 4
  12. ^ Tanjore 4

参考文献

  • 辛島昇 『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』 山川出版社、2007年 

関連項目




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