サツマイモ栽培の伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:13 UTC 版)
静岡県とサツマイモとの出会いは、江戸時代にまで遡る。1766年(旧暦明和3年)、薩摩藩の御用船であった豊徳丸が遠州灘で難破し、御前崎沖で座礁するという海難事故が発生した。遠江国榛原郡地頭方村の飛び地である御前崎で二ツ家の組頭を務めていた大沢権右衛門は、住民たちを率いて、乗員24名を救助し、衣服や食事を与えて介抱した。これに対し、薩摩藩側は権右衛門に金20両を謝礼として渡そうとしたが、権右衛門は「難破船を助けるのは村の習わし」と述べ、金20両を受け取らなかった。権右衛門の廉直な言動に感銘を受けた薩摩藩は、謝礼金の代わりとして豊徳丸の積み荷であったサツマイモ3本を贈ることにした。当時、サツマイモは薩摩藩の重要な特産品であり、その栽培方法は門外不出とされていた。しかし、薩摩藩は権右衛門に対して栽培方法を伝授してくれた。こうして御前崎の地にサツマイモの栽培方法が伝わった。
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