ゴルディアヌス父子の即位と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:43 UTC 版)
「ローマ内戦 (238年)」の記事における「ゴルディアヌス父子の即位と死」の解説
年初の皇帝は235年からローマ皇帝の地位にあったマクシミヌス・トラクスである。その後の情報筋によると、彼は北方のゲルマニア人の侵入を撃退し一定の成果を挙げたものの、その治世は強圧的なものであり、元老院との対決姿勢を崩さなかったという。このため238年、北アフリカで反乱が勃発。アフリカ属州総督であったゴルディアヌス1世が、息子・ゴルディアヌス2世と共に、マクシミヌスに反乱を起した。ローマ皇帝群像にも往時の実情が記録されている。 238年、アフリカ属州総督であったゴルディアヌス1世は息子・ゴルディアヌス2世と共にマクシミヌスに反乱を起した。ゴルディヌス父子への皇帝推挙の声があったことや、マクシミヌスに嫌悪感を示していた元老院からゴルディアヌス1世が「アウグストゥス」(皇帝)の称号を受けたことから、3月22日ゴルディアヌス1世は皇帝となり、ゴルディアヌス2世を共同皇帝に指名した。マクシミヌスが不人気であったため、属州の多くはゴルディアヌス父子を支持したという。 しかし、マクシミヌスを支持するヌミディア属州総督カペリアヌス (Capelianus) はゴルディアヌス父子を討つためにアフリカ属州の州都カルタゴへ侵攻し、4月12日にゴルディアヌス2世は戦死、ゴルディアヌス1世は自殺した。ゴルディアヌス父子の在位期間はわずか20日間であった。
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