コリオリの勇者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 10:18 UTC 版)
「グナエウス・マルキウス・コリオラヌス」の記事における「コリオリの勇者」の解説
翌紀元前493年、その年の執政官スプリウス・カッシウス・ウェケッリヌスはラティウム同盟との条約締結のためローマに残ったが、もう一人の執政官ポストゥムス・コミニウス・アウルンクスはウォルスキ族領へ攻め込み、コリオラヌスも従軍した。 連戦連勝のローマ軍は、ウォルスキ最大の街、コリオリを包囲した。しかし敵の援軍が続々到着して後背を突かれ、街からも挟撃される事態となり、アウルンクスは軍を二分して自らは援軍に当たり、ティトゥス・ラルキウス・フラウスに残りの軍を預けて包囲を継続させた。一旦は城内から繰り出す軍勢に押し返されたものの、それを見たコリオラヌスは城門に突入して暴れまわった。プルタルコスは大カトーの言葉を引き、手業だけでなくその大音声や姿形で敵を震え上がらせたとしており、リウィウスによれば城壁に火をかけて味方を勇気づけ、コリオリを陥落させた。執政官は彼に多大な褒賞を与えようとしたが、一頭の馬と奴隷の身に落とされていた個人的に友誼のあるウォルスキ人の身柄を救う事のみを希望し、人々は更に感嘆する事となった。この功績を讃えて後に「コリオラヌス (コリオリの勇者)」の二つ名が与えられたという。
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