ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 作曲家 > イタリアの作曲家 > ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェの意味・解説 

ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/04/04 13:21 UTC 版)

ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェGherardello da Firenze, 1320年1325年生 – 1362年没または1363年没)はイタリアトレチェント音楽における第一世代の作曲家ニコロ・ディ・フランチェスコNiccolò di Francesco)の別名もある。


生涯

音楽家の一族に生まれ、ヤコポとジョヴァンニの兄弟も作曲家になった(作品は散逸)。おそらくフィレンツェ近郊の出身で、生涯のほとんどをフィレンツェですごした。1343年になると、フィレンツェのサンタ・レパラータ大聖堂の登記簿に聖職者として記録されている。後に司祭となり、1345年から1351年までサンタ・レパラータ大聖堂の輔助司祭を務める。この間に黒死病によってフィレンツェが荒廃した。

おそらく1351年ごろに、フィレンツェから30キロほど離れたベネディクト会系のヴァロンブローザ修道院に入会し、余生についての詳細は失われており、没年については、おそらくシモーネ・ペルッツィによって書かれたゲラルデッロ追悼のソネットから、1362年か1363年と割り出されている。


音楽作品

ゲラルデッロは存命中は、宗教曲によって高名だったが、多くが散逸してしまっている。ゲラルデッロのグローリア唱とアニュス・デイは、1400年以前にイタリア人作曲家によって作曲された数少ないミサ曲の一つである。ゲラルデッロのミサ断章の作曲様式は、トレチェントのマドリガーレの作例に類似しているが、それでも情緒的に抑制されている。いずれも2声のために作曲されており、ところどころで交互に歌う部分があるものの、歌手はほとんど一緒に歌っている。

ゲラルデッロの世俗曲は、より多くの数が現存する。2声のための10曲のマドリガーレ、独唱のための5曲のバッラータのほか、非常に名高い3声のためのカッチャ《 Tosto che l'alba》がある。様式的にゲラルデッロの作品は、初期のトレチェント音楽の典型であり、同一の歌詞を同時に歌うが、カッチャは別で、2つの上声部が急速に動いてカノンを形成し、最低声部は長めの音符によって自由に作曲されている。

ゲラルデッロ作品の大半は、15世紀の『スクアルチャルーピ写本』において保存されているが、その他にトスカナ地方のいくつかの写本にも伝承されている。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェ」の関連用語

ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのゲラルデッロ・ダ・フィレンツェ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS