ゲオルグ・ルガーとは? わかりやすく解説

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ゲオルグ・ルガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/26 01:50 UTC 版)

ゲオルク・ルーガ
ゲオルク・ルーガ(1906年)
生誕 ゲオルク・ヨハン・ルーガ
(1849-03-06) 1849年3月6日
チロル州, シュタイナハ・アム・ブレンナー英語版
死没 1923年12月22日(1923-12-22)(74歳没)
ドイツ, ベルリン
国籍  オーストリア帝国
職業 銃器設計家
代表作 ルガーP08 9x19mmパラベラム弾
活動拠点 オーストリア ウィーン
配偶者 エリーザベト・ヨーゼファ・ドゥフェーク
子供
  • ゲオルク・フランツ・ルーガ
  • ユリオス・ヴィルヘイム・バートロミオス・ルーガ
  • フレドリッヒ・アレクサンダー・ゲオルク・ルーガ
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ゲオルク・ヨハン・ルーガGeorg Luger, Georg Johann Luger, 1849年3月6日 – 1923年12月22日)は、ルガーP089x19mmパラベラム弾などの発明で有名なオーストリア帝国銃器設計家である。DWM社の技師として兵器の開発に携わった。

名前

発音

名前はドイツ語読みで「ゲオールク・ルーガ」([ˈɡeːɔʁk luːɡɐ(ː)])、英語読みで「ジョージ・ルガー」([dʒˈɔɚdʒ ˈlugɝ])である。しかし日本では名をアルファベット読み、姓を英語読みという混合表記「ゲオルグ・ルガー」が一般的となっている。本稿では出生地の発音に最も近いゲオルク・ヨハン・ルーガとする。

生涯

幼少期

1849年3月6日、ヨハンはオーストリア帝国、チロル州シュタイナッハ・アム・ブレンナー英語版で誕生した。その後、ゲオルク家はイタリアに移住。そのためヨハンはイタリア語第二外国語として育ち、後にオーストリア帝国領となるパドヴァ基礎学校ギムナジウムを卒業した。卒業後、両親は彼をウィーンに送り、現在のウィーン商業アカデミー英語版に入学した。

軍歴

1867年10月、ヨハンは第78歩兵師団に士官候補生として志願した。1868年6月1日には士官候補生の伍長に昇進し、4ヶ月後の10月1日に准尉に昇進している。彼の優れた射撃能力は上官の目を引き、オーストリア=ハンガリー帝国軍火器学校英語版に送られ、すぐに講師として勤めはじめた。このときに自動装填装置に関心を持ち始める。1871年、ヨハンは中尉に昇進後、予備役になり、DWM社に技師として入社した。

家族

ゲオルク・ヨハン・ルーガは1873年にエリーザベト・ヨーゼファ・ドゥフェーク(Elizabeth Josepha Dufek)と結婚した。その後、ウィーンに引っ越し、3人の子供をもうけている。

  • ゲオルク・フランツ・ルーガ(Georg Franz Luger)
  • ユリオス・ヴィルヘルム・バートロメウス・ルーガ(Julius Wilhelm Bartholomaeus Luger,1880年3月16日生まれ)
  • フリードリヒ・アレクサンダー・ゲオルク・ルーガ(Friedrich Alexander Georg Luger,1884年4月26日生まれ)

長男のゲオルク・フランツ・ルーガは土木技師になり、父と共にに軍事兵器の開発に携わった。また、次男1915年第一次世界大戦のガリシア戦線で航空機パイロットとして戦死した。




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