ケナン・ソフォーグルとは? わかりやすく解説

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ケナン・ソフォーグル

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 14:21 UTC 版)

ケナン・ソフォーグル
2007年 WSS参戦当時
国籍 トルコ
生年月日 (1984-08-25) 1984年8月25日(38歳)
出身地 サカリヤ県アダパザル
ロードレース世界選手権での記録
- Moto2クラスに参戦 -
現在のチーム テクノマグCIP
ゼッケン 54
チャンピオン 0
レース数 2
優勝回数 0
表彰台回数 0
PP回数 0
FL回数 0
通算獲得ポイント 11
2010年の成績 29位 (11ポイント)

ケナン・ソフォーグル ( Kenan Sofuoğlu, 1984年8月25日[1] - ) は、トルコアダパザル出身のオートバイレーサー。スーパースポーツ世界選手権2007年2010年2015年2016年チャンピオン。

経歴

キャリア初期

地元トルコのスーパースポーツ選手権を制した後、2002年にはドイツに渡りヤマハ・R6カップを制した。翌2003年にはドイツロードレース選手権(IDM)のスーパースポーツクラスに参戦し、シリーズランキング2位を記録した[2]

2004年にはスーパーバイク世界選手権(SBK)のサポートイベントであるFIMスーパーストック1000カップに参戦しランキング3位を記録、翌2005年も同カップに継続参戦しランキング2位に成績を伸ばした[3]

スーパースポーツ世界選手権(2006 - 2007)

2006年、ソフォーグルはテン・ケイト・ホンダチームでホンダ・CBR600RRを駆り、スーパースポーツ世界選手権(WSS)にフル参戦デビューを果たした。開幕戦カタールでいきなり表彰台(3位)を獲得、第9戦アッセン、第10戦ラウジッツとシーズン2勝を挙げ、シリーズランキング3位でルーキーイヤーを終えた。

2007年シーズンも同チームに残留、ソフォーグルは全13戦中12戦で表彰台に立ち、8勝を収める圧倒的な強さを見せ、トルコ人ライダーとしては史上初[4]となる世界チャンピオンに輝いた[3][5]

スーパーバイク世界選手権(2008)

2008年 SBKブランズハッチ

2008年スーパーバイク世界選手権(SBK)にステップアップし、テン・ケイトチームでカルロス・チェカ清成龍一をチームメイトにホンダ・CBR1000RRを駆ることとなった。しかしソフォーグルは新しいマシンへの順応に苦しみ、最高位は第13戦マニクールのレース1での9位に留まり、シリーズランキングは18位に終わった。最終戦ポルティマオではWSSのレースに復帰し、勝利を収めた[3]

再びWSSへ(2009 - 2010)

2009年 WSSアッセン

2009年シーズンはWSSにフル参戦復帰となった。2度目のタイトル獲得を目指したが、ヤマハカル・クラッチローがチャンピオンを獲得、パーカルガー・ホンダチームのユージン・ラバティにも競り負けて、ソフォーグルはシーズン3勝でシリーズランキング3位に終わった。

テン・ケイトチーム在籍5年目を迎えた2010年シーズンもWSSに継続参戦。前年ランキング2位だったラバティがシーズン8勝を挙げる速さを見せたが、ソフォーグルは前年と同じ3勝に留まったものの全戦で表彰台に立つ安定度を見せ、11ポイント差でラバティを抑えてチャンピオンに返り咲いた。

Moto2参戦

WSSの2010年シーズン閉幕後、ソフォーグルはロードレース世界選手権第12戦サンマリノGPMoto2クラスで事故死した富沢祥也の後任として、テクノマグCIPチームからシーズン終盤の2戦に出場することとなった[6]第17戦ポルトガルGPではデビュー戦にもかかわらずいきなりレースの半分近くをトップ独走の形で主導権を握り、終盤はペースを落とすも5位入賞という大きく存在感を見せたレースとなった。続く最終戦バレンシアGPでも優勝争いを展開するが、ステファン・ブラドルと絡みコースアウトし、惜しくも二戦連続の入賞は逃した。だがこのパフォーマンスが認められ、2011年シーズンも同チームからフル参戦することが決定した[7]

家族

ケナンはアダパザルでオートバイの販売と修理を手がける一家の三男として生まれる。二人の兄もオートバイレーサーとして活躍していたが、長兄のバハッティン・ソフォーグルは2002年10月25日に交通事故に遭い24歳で亡くなった[8]。次兄のシナン・ソフォーグルは2006年にはロードレース世界選手権250ccクラスに2戦スポット参戦し、地元トルコGPでは19位完走の記録を残したが[9]、2008年5月9日、サーキットでの練習走行時にクラッシュし頭部に致命傷を負い、兄と同じ24歳で亡くなった[10]

主なレース戦績

スーパースポーツ世界選手権

シーズン バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2003年 ヤマハYZF-R6 3 0 0 0 0 0 -
2006年 ホンダCBR600RR 12 2 7 0 2 157 3位
2007年 ホンダCBR600RR 13 8 12 5 6 276 1位
2008年 ホンダCBR600RR 1 1 1 1 1 25 19位
2009年 ホンダCBR600RR 14 3 6 1 1 189 3位
2010年 ホンダCBR600RR 13 3 13 5 5 263 1位
2012年 カワサキ・ニンジャZX-6R 13 4 9 1 1 231 1位
2015年 カワサキ・ニンジャZX-6R 12 5 9 4 3 233 1位
2016年 カワサキ・ニンジャZX-6R 12 6 9 7 2 216 1位
合計 56 17 39 12 15 910

スーパーバイク世界選手権

シーズン バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2008年 ホンダCBR1000RR 23 0 0 0 0 54 18位
合計 23 0 0 0 0 54

ロードレース世界選手権

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
2010年 Moto2 スッター QAT SPA FRA ITA GBR NED CAT GER CZE IND SMR ARA JPN MAL AUS POR
5
VAL
Ret
29位 11

脚注

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