ケアンの撤去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 00:34 UTC 版)
日本では、1960年(昭和35年)以降の登山ブームの中で、単なる思い出づくりのためのケアンやケアンめいた遭難碑が増え始めて乱立するようになった。高山蝶の研究家、田淵行男が随筆でケアンに対し「戸惑いと恐れを抱く」と指摘したことを契機に、環境省はケアンのあり方について検討に着手。1974年(昭和49年)10月、環境省は全国の国立公園管理事務所に対し、「突風で崩壊する恐れがある」として必要最小限以外のケアンを撤去するよう通知を出した。
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