クルチ・アルスラーン1世の敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 06:06 UTC 版)
「ニカイア攻囲戦」の記事における「クルチ・アルスラーン1世の敗北」の解説
5月16日、テュルク人の守備兵が城外へ攻撃に出たが、戦闘の結果200名ほどを失い退却を強いられた。彼らは東方のメリテネで戦っているクルチ・アルスラーン1世に応援を要請した。ニカイアに戻ってきたクルチ・アルスラーン1世はやがて十字軍本隊の強さを思い知ることとなる。先遣隊は5月20日にレーモンとロベール2世の部隊と衝突して敗北し、翌5月21日にはクルチ・アルスラーン1世の本隊が、夜中まで続いた激戦の末に敗北を喫した。両軍とも被害は甚大だったが、ついにクルチ・アルスラーン1世はニカイア守備兵の嘆願にもかかわらず撤退を決めた。この戦いの後、勝った十字軍側は投石機でセルジューク兵の首を城壁内の市街に投げ込み、立てこもる市民を脅かしたという(下の写本挿絵参照)。 5月の下旬には十字軍の後続が続々とニカイアに到着し、ノルマンディー公ロベール2世やブロワ伯エティエンヌ2世の部隊も6月始めに到着した。レーモンとアデマールは大きな攻城塔を建造して城壁の塔に近づけ、塔に立てこもる守備兵らと交戦し、一方で地下では工兵が城壁や塔の下にトンネルを掘り進んだ。トンネル上の塔は重みで崩れたが、攻城戦にそれ以上の進展はなかった。
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