クライサーン旅団の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/16 00:34 UTC 版)
「スカリッツの戦い」の記事における「クライサーン旅団の攻撃」の解説
クライサーン大佐は、フラークナーン旅団が消耗していく様子を観察できる場所にいた。残余の兵を救うため、彼は命令なしで指揮下の5個大隊を攻撃に向ける。目標は森の南西の隅であった。フラークナーン少将と同様、大佐もレオポルト大公から命令を受け取っておらず、計画された軍団の撤退を知らなかった。攻撃は彼自身が指揮したが、間もなく戦死した。 クライサーン大佐の陣地からドゥブノの森までは堤防の上を鉄道が走っており、これは東に折れていた。この堤防は前進するオーストリア軍のため、理想的な掩護を提供していたものの、プロイセン軍が彼らに先んじる。プロイセン軍の1個擲弾兵連隊が、第9師団の側面を援護するためにこの堤防を占領していたのである。ここでプロイセン軍はオーストリア軍中央からの激しい砲火に晒されていたが、それでもクライサーン大佐の各大隊を側面から銃撃できた。オーストリア軍はそれに対し、重厚な半個大隊で前進するが第一波は撃退された。第二波は甚大な被害を被りつつも堤防に到達するが、プロイセン軍もまた中央に増援を送る。第10師団の1個旅団はオーストリア軍を攻撃するべく、堤防に沿って前進した。この時、双方は大きな被害を出している。特にプロイセン軍はスカリッツの東端に配置され、近距離から砲撃してきたオーストリア軍砲兵によって多大な流血を強いられた。プロイセン軍の砲兵も前進し、クレニー(Kleny)の森の外縁部に展開して応射している。 レオポルト大公は、戦闘を中断させようと司令部の士官を鉄道の方へ派遣した。この時、退却するオーストリア軍はプロイセン軍の2個大隊に追われていた。プロイセン兵は走っている間も装填と射撃が可能で、スカリッツ駅までの前進とオーストリア軍の中央陣地の占領に成功した。正午から午後1時にかけての1時間でレオポルト大公は2個旅団を失い、シュルツ旅団もプロイセン軍に側面を晒すこととなったのである。
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