キリシタン禁教と弾圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:14 UTC 版)
「中浦ジュリアン」の記事における「キリシタン禁教と弾圧」の解説
江戸幕府のキリシタン禁教令により、1614年2月7日と8日にマカオとマニラに多数の宣教師や信徒が追放され、原神父はマカオに流刑された。一方、中浦神父は禁教令に叛いて国内に残り、潜伏して布教の道を選び口之津で布教していたが、天草、肥後、筑前、筑後や豊前のキリシタンも毎年訪ね歩いていた。また、1621年(元和7年)9月21日に中浦神父が口之津からローマのイエズス会総長顧問マスカレニアス神父宛に書いたポルトガル語の自筆の手紙が、長崎の日本二十六聖人記念館に所蔵されて展示されている。同年12月21日に中浦神父は加津佐で終誓願を立てたのである。
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