キュパリッソス・ステファノスとは? わかりやすく解説

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キュパリッソス・ステファノス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 17:24 UTC 版)

Κυπάρισσος Στέφανος
キュパリッソス・ステファノス
生誕 (1857-05-11) 1857年5月11日
ギリシャケア島
死没 (1917-12-27) 1917年12月27日(60歳没)
ギリシャアテネ
国籍 ギリシャ
研究分野 数学
研究機関 アテネ大学
出身校 アテネ大学
ソルボンヌ大学
博士論文 Sur la Theorie des Formes Binaires et sur l'Elimination[1]
二次形式消去英語版の理論について)
博士課程
指導教員
ヴァシリオス・ラコンギリシア語版英語版
ジャン・ガストン・ダルブー
主な業績 デスミック・システム英語版
球面幾何学
プロジェクト:人物伝
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キュパリッソス・ステファノス: Κυπάρισσος Στέφανοςギリシア語ラテン翻字: Cyparissos Stephanos (1857-05-11) 1857年5月11日 - 1917年12月27日(1917-12-27) )は、ギリシャ数学者、大学教授。20世紀の射影幾何学の先駆者として知られ、デスミック英語版と呼ばれる概念をもたらした[1][2]

経歴

ギリシャのケア島に生まれた。父は教師で、兄に人類学者クローン・ステファノスギリシア語版がいる。キュパリッソスはシロス島の学校に通い、その後アテネ大学で学び、1878年にヴァシリオス・ラコンギリシア語版英語版より数学のPhDを獲得した。ダフニでイギリスの数学者トマス・アーチャー・ハーストと知り合い、親交を深めた。

ティモレオン・アルギュロプロスギリシア語版英語版Dimitrios Stroumpos やラコンがそうしたようにフランスへ渡って、ソルボンヌ大学に入学した。ジャン・ガストン・ダルブーの下で博士課程を進み、1880年に博士号を獲得した[1]カミーユ・ジョルダンシャルル・エルミートにも教えを受けた[1]。1879年にはフランス数学会の会員に選出された[3]

パリに滞在していた間、ドイツの数学者ヘルマン・シュヴァルツと出会い、カール・ヴァイエルシュトラス多元数に関する定理について議論した。1883年、この定理が3次の多元数においては成立しないことを示した[4]解析学解析力学、高等代数学位相幾何学などの分野で様々な学術雑誌に著作を寄稿した[5][6]

1884年、アテネに帰還し、アテネ大学の名誉教授(1890年に正教授)に就任した[4]アテネ工科大学ギリシア語版英語版ギリシャ士官学校ギリシア語版英語版海軍兵学校に赴いて授業をすることもあった。1908年から1909年の間はアテネ大学の学長を務めた[7][8]

ステファノスはギリシャを代表して度々国際数学者会議に参加した[9]。この結果、世界にその名を知られることとなり様々な数学会のフェローに選ばれた。また、アテネに初の商業学校を立ち上げて、校長を務めた。他に、農学会の創立、アテネ森林保全会(Φιλοδασικής Εταιρείας)、商業会の共同創立や、アテネ教師連盟の組織・代表などで尽力した[10][11]

作品

出典

  1. ^ a b c d Georgiadou 2013, p. 446.
  2. ^ Triandafillos Sklavenitis (2022年9月27日). “Stefanos Kyparissos”. Institute for Neohellenic Research. 2022年9月27日閲覧。
  3. ^ “État de la S.M.F. au commencement de l'année 1916”. Bulletin de la Société Mathématique de France tome 44. (1916). http://archive.numdam.org/ARCHIVE/BSMF/BSMF_1916__44_/BSMF_1916__44__v1_0/BSMF_1916__44__v1_0.pdf. 
  4. ^ a b Lützen 2001, p. 232.
  5. ^ Staff Writers (2022年9月27日). “Stefanos Kyparissos”. The European Digital Mathematics Library. 2022年9月27日閲覧。
  6. ^ “Stephanos, Cyparissos”. Catalogue of Scientific Papers: 3rd ser. 1874–1883. (1896). pp. 491–492. https://books.google.com/books?id=MBkfAQAAMAAJ&pg=PA491 
  7. ^ Skintzopoulou 1918, pp. 2.
  8. ^ Stefanidou 1952, pp. 23–25.
  9. ^ Athansios Lipordezis. “Stefanos Kyparissos”. The Constantin Carathéodory Society's Newspaper 7th Edition (Komotini, Gr), Page 2. Museum of Constantin Carathéodory. http://www.karatheodori.gr/images/%CE%95%CE%A6%CE%97%CE%9C%CE%95%CE%A1%CE%99%CE%94%CE%91_%CE%9A.%CE%9A%CE%91%CE%A1%CE%91%CE%98%CE%95%CE%9F%CE%94%CE%A9%CE%A1%CE%97_7%CE%BF_%CE%A4%CE%95%CE%A5%CE%A7%CE%9F%CE%A3.pdf 2022年9月27日閲覧。 
  10. ^ Skintzopoulou 1918, pp. 2–3.
  11. ^ Stefanidou 1952, pp. 25.

参考文献

関連項目




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