キャリーの献身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 10:16 UTC 版)
マギャヴィック一家は1,500名近くの南軍兵の遺体の慰霊に尽力した。1893年、ジョン・マギャヴィックが、1905年、キャリーが亡くなった。フランクリンで亡くなった兵士に対するキャリー・マギャヴィックのこの献身は41年間続いた。1905年、ジョン・W・ヘナー牧師は『Confederate Veteran 』誌でキャリーの死亡に際し以下のように記した: 私たちは汝に感謝している。華奢な脚で立ち上がり、多くの魂を癒し、貧しい者に食事を与え、病気の者に手当をし、惨めな少年が立派な大人になるように親代わりとなった。そして彼らは立ち上がり、彼女へのご加護を祈るでしょう。今日彼女は天に召され、「ウイリアムソン郡の善きサマリア人」の名に相応しい彼女のために祈ろう 現在、マギャヴィック南軍墓地は南軍婦人会のフランクリン支部が管理している。
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