ガリバー旅行記 (1939年の映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 13:32 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| ガリバー旅行記 | |
|---|---|
| Gulliver's Travels | |
| |
|
| 監督 | デイブ・フライシャー |
| 脚本 | エドモント・シューワード |
| 原作 | ジョナサン・スウィフト |
| 製作 | マックス・フライシャー |
| 出演者 | サム・パーカー |
| 音楽 | ラルフ・レインジャー レオ・ロビン |
| 撮影 | チャールズ・シェットラー |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 | 76分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 英語 |
| 製作費 | $700,000 |
| 次作 | バッタ君町に行く |
『ガリバー旅行記』(ガリバーりょこうき、Gulliver's Travels)は、1939年の、フライシャー・スタジオ製作、パラマウント映画配給のアメリカ映画で、アニメーション映画である。また、日本では最初に公開された長編カラーアニメーション映画である。
概要
アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフトにより執筆された風刺小説『ガリヴァー旅行記』の第一篇「リリパット国渡航記」を映画化したものである。
フライシャー・スタジオは、1934年から長編カラーアニメーション制作の構想を練っていたが、当時のパラマウントは金銭の問題や長編アニメーション公開の前例が無かったため、フライシャーの提案を却下し続けてきた。しかし、1937年にウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編カラーアニメーション『白雪姫』が大成功を収めるとパラマウントはディズニーに対抗、その成功を再現したいと考え、1939年のクリスマス公開を予定し製作を開始する。
フライシャーは、生身の俳優のフィルムをトレースするロトスコープを主人公であるガリバーのアニメ化に使用。その他にも製作に様々な工夫を凝らした結果、この映画はアメリカで公開されると大成功を収め、50の劇場での上映に限られていたにもかかわらず、327万ドルの興行収入を稼いだ[1]。登場人物のリリパット人は後に短編映画にも登場した。
その後、本作の権利は、ナショナル・テレフィルム・アソシエイツがフライシャー・スタジオの過去作品と共に買収し、その後リパブリック・ピクチャーズ(後にパラマウントが買収)が権利を所有している。しかし、著作権に関しては公開から28年以内にリニューが行われなかった為、現在はパブリックドメインとなっている。
日本では、著作権の保護期間が終了し、パブリックドメインとなったことから、現在は各社からパブリックドメインDVDが発売されている。
ストーリー
キャスト
| 役名 | 原語版声優 | 日本語吹き替え | |
|---|---|---|---|
| テレビ版 | VHS版 | ||
| ガリバー | サム・パーカー | 木下秀雄 | 玄田哲章 |
| ギャビー | ピント・コルヴィッグ | 里見京子 | 中尾隆聖 |
| リトル王 | ジャック・マーサー | 新道乃里子 | 山形ユキオ |
| トゥインクルトー | |||
| スニーク | |||
| スヌープ | |||
| スニッチ | |||
| バンボー王 | テッド・ピアス | 斎藤隆 | 辻村真人 |
| グローリー姫 | リヴォニア・ウォーレン(台詞) ジェシカ・ドラゴネット(歌) |
篠原恵美 | |
| デビッド王子 | カル・ハワード(台詞) ラニー・ロス(歌) |
関俊彦 | |
| ナレーション | 坂本和子 | ||
スタッフ
- 監督 - デイブ・フライシャー
- 脚本 - エドモント・シューワード
- 脚色 - ダン・ゴードン、キャル・ハワード、テッド・ピアー、I・スパーバー、エドモンド・シュアード
- 原作 - ジョナサン・スウィフト
- 製作 - マックス・フライシャー
- 撮影 - チャールズ・シェットラー
- 音楽 - ラルフ・レインジャー、レオ・ロビン
- 作詞 - ラルフ・レインジャー、レオ・ロビン
- 指揮 - ビクター・ヤング
脚注
- ^ Top Grossing Movies of 1939 | Ultimate Movie Rankings
- ^ “番組表ヒストリー”. NHK. 2019年9月29日閲覧。
関連項目
外部リンク
「ガリバー旅行記 (1939年の映画)」の例文・使い方・用例・文例
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