ガリシア統一左翼時代
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「ヨランダ・ディアス」の記事における「ガリシア統一左翼時代」の解説
2005年、ガリシア統一左翼の代表に選出される。同年の自治州議会選挙では、自治州首相候補として選挙に挑んだだが、得票数は12,000票あまり(得票率0.8%)で第4党にとどまり議席を獲得するこはできなかった。2007年の自治体選挙では自身も出馬したフェロルで5,203票(得票率14.19%)を獲得し、2議席から4議席に躍進した。フェロルではガリシア社会主義者党(PSdeG)のビセンテ・イリサーリと連立政権を組織、2008年10月に連立を解消するまで副市長を務めた。 2012年の州議会選挙に向けてアノーバ=イルマンダーデ・ナショナリスタ、ガリシア統一左翼、EQUO Galicia、Espazo Ecosocialista Galegoなどによって地域選挙連合「アルテルナティーバ・ガレーガ・デ・エスケルダ」(AGE)が結成され、ディアスはAGEの候補として州議会選挙に立候補し初当選。2015年スペイン議会総選挙にはガリシア統一左翼が参加する選挙連合「エン・マレーア」の候補として立候補し、初当選。 2017年6月、2005年から務めていたガリシア統一左翼の代表を退任した。2019年4月に実施された総選挙では、社会労働党(PSOE)が第1党となったが単独過半数には達しなかったため、統一左翼(IU)が参加するウニダス・ポデモスとの間で連立協議が行われたが、この連立協議に関しIUの連邦指導部と意見が一致しなかったため2019年10月にIUを離脱した。なおスペイン共産党には引き続き所属している。
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