カンプチア救国民族統一戦線(1978年 - 1981年)
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カンプチア救国民族統一戦線(以下 FUNSK )は、政治的にはマルクス主義政党カンプチア人民革命党(KPRP)の包括的組織(umbrella organization)である。1977年、カンボジア東部で血の粛清を行ったクメール・ルージュ(ポル・ポト派)の反ベトナム政策と相容れないカンボジア人共産主義者らは、クメール・ルージュからカンボジア東部のクラチエ州一帯を解放し、クラチエ近郊でFUNSKを結成した。クメール人社会主義勢力の過激派の中にはFUNSK結成日の1978年12月2日を「再建大会("Reunion Congress")」と呼ぶものもあった。 ポル・ポト政権に対する反政府運動を拡大し、ポル・ポト派の恐怖政治を打破することを目的として結成されたFUNSKは、国の再建策として11の案を掲げた。これらの案は国民にカンプチア人民共和国(PRK)建国後の国家再建への支援を促すだけではなく、クメール・ルージュよりもより穏健・実践的かつ人道的なアプローチをとることによって、新国家の親ソ連的体制への支持を働きかけるものであった。なおFUNSK幹部はカンプチア人民革命党(KPRP)の共産主義者が占め、カンボジア仏教徒といった非共産主義者幹部、あるいは女性幹部は、ごく僅かであった。 ポル・ポト派や世界各国の間には、このカンプチア人民共和国がベトナムの傀儡政権であると決め付ける声もあった。
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