カラノスの予言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/22 16:43 UTC 版)
「アレクサンドロス3世の死」の記事における「カラノスの予言」の解説
カラノスは、ヒンドゥー教のバラモン僧(ギリシア人からはギュムノソピスタイすなわち「裸の哲学者」と呼ばれた人々)の一人だったとされる。彼はアレクサンドロス3世の求めに応じ、パンジャーブから帰途に就く彼の遠征軍に同行した。しかしペルシスの天候や旅の疲れから衰弱し、廃人として生きるよりも死のうと考え、焼身自殺した。アレクサンドロス3世は思いとどまるよう説得したが、カラノスの強い意志を前にして折れ、プトレマイオスに火葬台を建設させてカラノスの要望を実現させてやった。これは紀元前323年、スーサで起きた出来事だった。カラノスについては、アレクサンドロス3世の提督ネアルコスやミティリニのカレスらも記録している。カレノスが焼け死んでいくのを、周りの者たちは恐懼しながら眺めていたが、カレノス自身はたじろぐこともなかった。彼は火葬台の上で焼け死ぬ前に、アレクサンドロス3世に「我らはバビロンで会うだろう」という最後の言葉を残した。それゆえ、カレノスはアレクサンドロス3世がバビロンで死ぬことを予言していたのだとされている。カレノスが死んだ時点で、アレクサンドロス3世のもとにはバビロンへ行く計画すらなかった。その時には誰もカレノスの遺言を理解できなかったが、アレクサンドロス3世がバビロンで病に倒れ死去して初めて、ギリシア人たちはその真意に気づいたのだった。
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