カトゥルスの下で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:43 UTC 版)
「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事における「カトゥルスの下で」の解説
しかし、それらの成功にマリウスが嫉妬し、これ以上の成果を望んでいないことを知ったスッラは、マリウスの同僚執政官クィントゥス・ルタティウス・カトゥルスのもとに身を寄せた。カトゥルスの下でスッラは存分に力を発揮し、マリウスの軍が食糧不足に悩まされている時でも、彼のおかげでカトゥルスの軍には豊富に食料があったという。そうした些細なことからマリウスとの仲が悪化していった。 紀元前101年、20万を越すキンブリ族に対し、ローマ軍が決定的な勝利を得た(ウェルケラエの戦い)。スッラはカトゥルスの配下として参加している。この戦いでは敵の包囲作戦に対し、戦場を粉塵が覆ってローマ軍はうまく対処できなかったため、まずカトゥルス軍が敵と当たることになった。スッラによれば、寒冷地で育った敵に対し夏至に戦ったのが有利に働いたという。カトゥルスは、自軍は精強で汗一つかかずに戦い抜いたと自画自賛している。カトゥルスは当時プロコンスルだったため、勝利の栄光は正規執政官のマリウスが享受したが、凱旋式を独り占めすることは避けた。 敵軍に勝利したマリウスは、ロームルス、マルクス・フリウス・カミッルスに続くローマ第三の建国者と讃えられた。マリウスは計7回もの執政官当選を果たすなど、民衆派の指導者として圧倒的な地位を獲得する。
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