カストロの怒り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 18:11 UTC 版)
他方ハバナではカストロが激怒していた。フルシチョフから何ら事前の通告もなく、彼はこれを降伏とみなした。キューバを攻撃及び侵攻しないという約束のもとで自国に搬入したミサイルを撤去する空手形になるかも知れないものであり、キューバの安全保障を取引の材料にされたカストロは我が耳を疑った。この日フルシチョフからのカストロ宛て書簡が届き、自制を求めるとともにアメリカの攻撃が差し迫っていたというカストロの考えを肯定した上でケネディによるキューバ不侵攻の確約は大きな勝利であり、これによりキューバの安全が確保されたという評価を押し通して協議する時間が無かったのだと主張した。 この書簡には、トルコのミサイルの撤去とキューバのミサイルの撤去とが取り引きされたことには触れなかった。カストロはその後、ミサイル撤去の際に様々な行動をすることになった。後のフルシチョフの回想によれば、アメリカの度重なる偵察と海上封鎖に興奮したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫ったとされ、ソ連の方も、核戦争をも厭わない小国の若手革命家と次第に距離を置くようになっていった。 後の歴史学者の間では、当時のソ連第一副首相のアナスタス・ミコヤンからの強い進言がキューバの核ミサイル撤去をフルシチョフに踏み切らせたと考えられている。
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