オレンジ自由国とトランスヴァール共和国の建国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:45 UTC 版)
「グレート・トレック」の記事における「オレンジ自由国とトランスヴァール共和国の建国」の解説
ドラケンスバーグ山脈の北側では、オレンジ川以北にとどまったボーア人たちが政府を結成し、またそのさらに北、ヴァール川以北に植民したボーア人たちも別個の政府を成立させた。フォールトレッカーズたちのほとんどはこの2地域のいずれかに定住し、これによりボーア人の移動は終わり、グレート・トレックは終結した。ナタール共和国を占領したイギリスは内陸についても1848年にオレンジ川主権国家(英語版)(1848年-1854年)を建国してイギリスの影響下に置こうとしたものの、ボーア人やソト人らの抵抗にあい、最終的に占領するメリットがないため静観することとした。1852年1月17日、サンド・リバー協定(英語版)がイギリスとヴァール川以北のボーア人の代表であるプレトリウスとの間で結ばれ、トランスヴァール共和国(正式名称は南アフリカ共和国)が成立した。次いで1854年2月23日、イギリスとオレンジ川以北の政府との間でブルームフォンテーン協定が結ばれ、オレンジ自由国が成立した。
※この「オレンジ自由国とトランスヴァール共和国の建国」の解説は、「グレート・トレック」の解説の一部です。
「オレンジ自由国とトランスヴァール共和国の建国」を含む「グレート・トレック」の記事については、「グレート・トレック」の概要を参照ください。
- オレンジ自由国とトランスヴァール共和国の建国のページへのリンク