オスマン朝のモスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 09:32 UTC 版)
「パルテノン神殿」の記事における「オスマン朝のモスク」の解説
1456年、アテナイはオスマン帝国の占領下に置かれた。すると今度は、パルテノン神殿はモスクに改築された。オスマン帝国は領地の遺跡には一定の敬意を払い無分別な破壊を行わなかったが、それは保全に努めたという事ではなく、戦時に防壁や要塞を建設するために遺跡の石材などを流用することもあった。さらにパルテノン神殿にはミナレットが増築され、その神殿に相当する高さの階段は今でも残ったまま、円柱の台輪を隠してしまっている。しかし、オスマン帝国は神殿そのものには変更を加えず、17世紀のヨーロッパ人訪問者はアクロポリスの丘に残る他の建築物ともども手付かずのままに置かれていることを証言した。
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