オスカー・ロバートソン訴訟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 14:20 UTC 版)
「オスカー・ロバートソン」の記事における「オスカー・ロバートソン訴訟」の解説
ロバートソンが残した業績として忘れてはならないのが、選手会長としてNBA選手の地位向上に貢献したことである。ロバートソンは1965年にトム・ヘインソーンの跡を継いで第三代選手会長に就任。ロバートソンの在任中は選手会(NBPA)の活動が活発化した時期であり、選手会からの様々な要望を実現させた。中でも「オスカー・ロバートソン訴訟」として名高い1970年に起きた裁判はNBAにおけるフリーエージェント制の確立に大きな影響を及ぼした。端を発したのは1970年にNBAと、当時存在したライバルリーグのABAの合併合意であり、これにより選手の年俸が減額されることを恐れた選手会側は独占禁止法違反としてリーグ側を訴えた(この裁判の影響でABAとの合併は1976年まで遅れた)。訴訟から6年後にようやく和解に至り、選手会側がABAとの合併を認めるかわりに、フリーエージェント条項や大学ドラフト規定が改定された。以後フリーエージェント制の確立と共にNBA選手の年俸は天井知らずの上昇を続け、現在はどのプロスポーツリーグよりも高い平均年俸となっている。
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