エディの死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 13:44 UTC 版)
エディの死後、スマックダウンのバックステージは大きな穴が開いたように寂しくなったという。親友だったクリス・ベノワ、兄弟同然の仲だったレイ・ミステリオ・ジュニア、甥であるチャボ・ゲレロ・ジュニアなどがエディへのリスペクトとして、彼の持ち技(フロッグ・スプラッシュやスリーアミーゴズ)を相手にかけると、客席からは「エディ!エディ!」と割れんばかりの歓声が上がるという現象が起こった。 2006年2月4日・5日のスマックダウン横浜アリーナ大会でも日本のファンはエディの功績を称え、多くの歓声が上がり、事実上の追悼大会となった。また、この衝撃を受けたタジリが自主的に退団している。 2006年1月には、エディの地元であるテキサス州エルパソ市から地元の発展に貢献したとのことで市民栄誉賞を受賞し、ヴィッキーが賞を受け取った。さらに、同年4月、これまでの功績を称えられWWE殿堂に迎えられた(プレゼンターはチャボ、ベノワ、ミステリオ)。 さらに日本の団体でも、新日本プロレスなどで追悼ムードが高まり、各団体では10カウント・ゴングが打ち鳴らされた。全日本プロレス11月20日後楽園大会ではディーロ・ブラウンがエディ式ローダウンと称してフロッグ・スプラッシュを、大日本プロレス11月22日後楽園大会ではMASADAとGENTAROが、スリーアミーゴズとフロッグ・スプラッシュをそれぞれ披露した。
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