ウルトラヴォックスとヴィサージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 13:51 UTC 版)
「ミッジ・ユーロ」の記事における「ウルトラヴォックスとヴィサージ」の解説
詳細は「ウルトラヴォックス」および「ヴィサージ (音楽グループ)」を参照 1980年7月、ユーロ加入後初、バンド通算4作目となるアルバム『ヴィエナ (Vienna)』がリリースされる。ユーロによるアグレッシブなギターワークとシンセサウンドを両立させたサウンドを展開し、シンセポップの隆盛やニューロマンティックブームなどの追い風も受け、全英3位72週チャートインする。シングルカットされた同名曲「ヴィエナ」は全英2位となる。また、1980年11月、ユーロのプロデュースで、ヴィサージの最初のアルバム『ヴィサージ (Visage)』(全英13位)がリリースされ、シングルカットされた「フェイド・トゥ・グレイ」は全英8位となる。 こうしてヴィサージとウルトラヴォックスはニューロマンティック・シーンにおいて代名詞的なバンドとなり、ユーロ自身もニューロマンティックを代表するミュージシャンの一人となる。1981年9月にリリースされた次作『エデンの嵐 (Rage in Eden)』も全英3位となり、バンドの音楽的主導権はユーロに移っていく。ユーロはバンドの特徴であったポストパンク~シンセポップ的なサウンドを、次第に一般的なポップ路線へと変えていった。ヴィサージからは、セカンドアルバム『舞-ダンス- (The Anvil)』を最後に、ウルトラヴォックスでの活動に専念するため離れていった。
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