ウラルトゥ王国の滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/07 09:49 UTC 版)
紀元前6世紀に入り、ウラルトゥはもはや往時の勢いはなかったと思われる。アルギシュティヒニリ(現アルメニア共和国アルマヴィル)は炎上し、エレブニ(現在のエレバン)は放棄された。そして最後の砦であるテイシュバニ(カルミル・ブルール)も、何者かの攻撃により炎上して廃墟と化した。ルサ4世もテイシュバニと運命を共にしたものとみられる。これらの遺跡ではいずれもスキタイ式の青銅製鏃が発見されており、スキタイ人が加わった軍勢の攻撃を受けて落城したのであろう。ウラルトゥ領は滅亡後はメディア王国の領土に組み込まれた。 ウラルトゥ王国滅亡からおよそ1世紀後の古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは、その著書『歴史』の中でメディアについては詳述しているものの、ウラルトゥについてはまったく言及していない。ウラルトゥの故地に住むアルメニア人の記憶や旧約聖書の中にかすかに残るのみだったウラルトゥ王国が再発見されたのは19世紀のことで、発掘調査などによりその実像が明らかになり始めたのはようやく20世紀になってからであった。
※この「ウラルトゥ王国の滅亡」の解説は、「ルサ4世」の解説の一部です。
「ウラルトゥ王国の滅亡」を含む「ルサ4世」の記事については、「ルサ4世」の概要を参照ください。
- ウラルトゥ王国の滅亡のページへのリンク