ウォーレン荷車隊の襲撃
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「テキサスのインディアン戦争」の記事における「ウォーレン荷車隊の襲撃」の解説
1871年、カイオワ族戦闘派酋長サタンタがテキサス州内で数度荷車隊を襲った。その破滅のもとは1871年5月18日にウォーレン荷車隊を襲撃したことだった。この攻撃の直前にインディアン達は少数の護衛しかいない陸軍の救急隊に危害を加えずに通ることを許した。それに乗っていたのがウィリアム・シャーマン将軍だった。 この荷車隊は環状隊形に変えることで戦士隊に戦いを挑み、ロバは全て環の中心に入れた。これにも拘わらず、戦士隊は荷車隊の全ての物資を捕獲し、7人の御者を殺しその体を切断した。しかし5人の男が逃げ延びた。ラナルド・S・マッケンジー大佐がこの事件について知るや否や、このことをシャーマンに報せた。シャーマンとマッケンジーは襲撃を行った戦士達を捜索した。サタンタは愚かにも自身やサタンク(シッティングベア)およびアドーエッタ(ビッグツリー)が襲撃に関わったと自慢していた。シャーマンは自ら彼を逮捕した。
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