ウェストポイントにて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 07:12 UTC 版)
「ルイス・エステベス」の記事における「ウェストポイントにて」の解説
陸軍士官学校では第二言語としてスペイン語を選んでいた同窓生であるドワイト・D・アイゼンハワー候補生の個別指導を担当していた。1915年、エステベスは陸軍士官学校初のプエルトリコ人卒業生として卒業する。同窓生にはアイゼンハワーの他にオマール・ブラッドレーがいた。なお、彼ら1915年度卒業生の多くが将軍にまで出世した事から、後に1915年度卒業生は「星の降り注いだクラス(英語版)」(the class the stars fell on)と通称される事になるが、彼らの中で最初に将軍になったのはエステベスであった。卒業後、エステベスには市民権の問題が降りかかった。当時、行政上の都合からプエルトリコ人は米国市民と区別されており、米陸軍将校に任官できるのは米国市民のみと定められていたのである。しかし陸軍省ではアメリカ独立戦争の折にフランス人のラファイエット侯爵やプロイセン人のシュトイベン男爵など外人士官が大陸軍に参加していた前例を探し出し、これに従いエステベスの任官を認めたのである。
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