フランクリン・C・シバートとは? わかりやすく解説

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フランクリン・C・シバート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 06:50 UTC 版)

フランクリン・C・シバート
Franklin C. Sibert
1912年、ウェストポイントにて
生誕 1891年1月3日
アメリカ合衆国
ケンタッキー州 ボーリング・グリーン
死没 1980年6月24日(1980-06-24)(89歳没)
アメリカ合衆国
フロリダ州 フォート・ウォルトン・ビーチ英語版
所属組織 アメリカ陸軍
軍歴 1912年 - 1946年
最終階級 陸軍少将
墓所 ヴァージニア州アーリントン国立墓地
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フランクリン・カミングス・シバート英語: Franklin Cummings Sibert 1891年1月3日1980年6月24日)は、アメリカ陸軍軍人。最終階級は陸軍少将第二次世界大戦ではニューギニアやフィリピンで日本軍と戦った。

略歴

ケンタッキー州ボーリング・グリーンにて生まれる。陸軍軍人ウィリアム・L・シバート英語版を父に、メアリー・マーガレット・カミングスを母に持つ。父は第一次世界大戦第1歩兵師団を率いて戦い、最終的に少将まで昇進した。6歳下の弟エドウィン英語版も陸軍軍人となって情報畑を歩み、ゲーレン機関Gehlen Organization)の設立に携わった[1]

1912年6月2日、陸軍士官学校を卒業。士官学校の同期には、朝鮮戦争第8軍を率いたウォルトン・ウォーカー大将がいる。1913年3月4日、ヘレン・マイルドレッド・ロジャースと結婚。

第一次大戦ではアメリカ遠征軍の一員としてフランスで戦い、戦後はドイツに残って占領業務に当たった。帰国後、陸軍歩兵学校陸軍指揮幕僚大学陸軍大学校で学んだ。

1934年、第29歩兵連隊英語版の大隊指揮官に任じられた。以降、フォート・ベニング基地で歩兵科の役職や歩兵委員会(Infantry Board)委員を務めた。

第二次大戦

1941年9月、中国・ビルマ・インド戦線米軍司令官ジョセフ・スティルウェル中将の参謀となり、翌42年のビルマ撤退に同行。10月に第6歩兵師団英語版長に任命され、ニューギニア島での対日反攻戦を指揮した。その後レイテ島で戦う第X軍団英語版長に就任した。

退役後は妻とともにフロリダ州フォート・ウォルトン・ビーチに住んだ。1980年に死去。

勲章

陸軍殊勲従軍記章英語版
銀星章 レジオン・オブ・メリット柏葉章英語版付) 銅星章(柏葉章付) エア・メダル
メキシコ国境従軍記章英語版 第一次世界大戦戦勝記念章(略章4個付) ドイツ占領軍記章英語版 アメリカ防衛従軍記章
アメリカ従軍記章 アジア・太平洋従軍記章英語版従軍星章英語版4個付) 第二次世界大戦戦勝記念章 フィリピン解放記章英語版(従軍星章2個付)

脚注

  1. ^ Selby, Andrew Scott. The Axmann Conspiracy: The Nazi Plan for a Fourth Reich and How the U.S. Army Defeated It. New York: Penguin, 2012.

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