ウェストバージニア州への合流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/30 15:15 UTC 版)
「バークレー郡 (ウェストバージニア州)」の記事における「ウェストバージニア州への合流」の解説
南北戦争の間、ポトマック川沿い、山岳部の東に位置するバークレイ郡とジェファーソン郡はどちらも、ウェストバージニア州設立を目指す政府に同意し、1863年にはウェストバージニア州への併合に同意する投票を行うと考えられた。その投票日に南軍に従軍して地元に居なかった者達が戻ってきたとき、ウェストバージニア州への移管を認めようとしなかった。この地域を占領していた北軍は、その望ましい結果が得られるよう手配してもいた。バージニア州議会は脱退条例を撤廃し、1866年にはウェストバージニア州に対して、これらの郡がバージニア州に属することを宣言するよう訴訟を起こした。一方で連邦議会は1866年3月10日に、移管を承認する合同決議を通した。1871年、アメリカ合衆国最高裁判所はこの「バージニア州対ウェストバージニア州事件」について、バークレイ郡とジェファーソン郡を含めウェストバージニア州のバージニア州からの分離を支持する判決を下した。 近年、ウェストバージニア州東パンハンドル部の特定郡がバージニア州に復帰する可能性について真剣に話し合われてきた。この動きは、経済状態の悪化に不満を抱き、またチャールストンのウェストバージニア州政府から無視されていると見なすこともあって、少なくとも幾らかの動機を得てきた。2011年、ウェストバージニア州下院議員のラリー・カンプは、モーガン、バークレイ、ジェファーソン各郡がバージニア州に復帰するかを住民投票に問う議案を提案した。
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