イヴァン雷帝時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:24 UTC 版)
「ロシアのシベリア征服」の記事における「イヴァン雷帝時代」の解説
ロシアのシベリア進出は、イヴァン3世の孫、雷帝ことツァーリ(皇帝)、イヴァン4世(在位1533年-1584年)の治世から本格化する。1552年のカザン・ハン国征服によって同地の毛皮の流通ルートを確保し、ウラル地域への進出基盤を得た。モスクワ大公国(ロシア・ツァーリ国)は、北東ルーシを再統一し、中央集権化を進め、帝国への道を歩みだす。1555年、イヴァン4世は、宮廷を訪れたイギリス使節リチャード・チャンセラーに、モスクワと直接貿易を行う権利を与えた。はじめはホルモゴルイ港、のちにアルハンゲリスク港を通じた白海貿易という新たな毛皮販路が誕生した。ヨーロッパからの毛皮の需要は増えたが、ウラル西側の毛皮獣は減っていた。ロシア・ツァーリ国は強国になり、服属させた他の国からヤサク(貢納)として毛皮を徴収した。ユグラやハンティ人の住むスルグトにもヤサクを要求した。ロシア社会経済史の研究家、森永貴子の言葉を引用する。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}シベリアへの進出は「ロシア帝国」の形成と、毛皮を求める自然発生的な膨張の動きが重なったものである。
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