インペリアル・カレッジ・ロンドンにおける開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/18 13:36 UTC 版)
「SUMPAC」の記事における「インペリアル・カレッジ・ロンドンにおける開発」の解説
1963年初頭にチーム設立メンバーの一人であるラッシャーがSUMPACを買い取り、SUMPACは彼が移ったインペリアル・カレッジ・ロンドンで改造された。RAeSがプロジェクトに対して追加の資金援助を行ったが、インペリアル・カレッジ・ロンドンでのプロジェクトは進みが遅く、試験飛行に移るまでに2年以上を要した。 インペリアル・カレッジ・ロンドンでは機首のコクピット周りの構造、機首のフェアリングおよびパイロンの変更、外皮素材の変更、駆動系のベルトの変更などが成された。 改良を受けたSUMPACはウェストモーリング(英語版)へ運ばれ、試験飛行が実施された。ウェストモーリングでの試験では自転車競技者だったジョン・プラット(John Pratt)が勤めた。1965年11月25日の試験飛行中に突風によって高さ29.5フィート(約9m)まで急激に持ち上げられて失速し、機首を下げて地面に向かって突っ込み、墜落した。パイロットのジョンは無傷だったが、主翼、胴体の順に地面に激突し、SUMPACは大破した。この墜落によりSUMPACに対する改良の効果を確認することなくプロジェクトは終了した。
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