インドによる併合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 14:26 UTC 版)
1947年にインドがイギリスから独立するとインド政府はポルトガルにも領土の返還を求めたが、他の植民地での独立闘争に波及することで植民地帝国が崩壊することを恐れた当時のアントニオ・サラザール政権は応じなかった。 またこの時ゴアで鉄鉱石が発見され、また自由貿易港であることもあってゴアは再び繁栄の時代を迎えることになった。 しかし、1955年、非暴力で領土返還を求めるデモ隊にポルトガルの警察が発砲。死者20人以上、負傷者500人近くを出す惨事が起き、ポルトガル統治に対する反感が高まり、この事態を重く見たインド政府が1961年にポルトガル領に武力侵攻(英語版、ポルトガル語版)し、インドにおけるポルトガルの植民地支配はようやく終結した。このとき北大西洋条約機構に加盟していたポルトガルは共同防衛を期待したが、結果的に援軍はなかった。
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