インカルシペ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:58 UTC 版)
現在の藻岩山は、アイヌ民族からアイヌ語で「インカルシペ(インカルシュペ)」(いつも登って見張りをするところ)と呼ばれていた。この山はアイヌにとっての聖地であり、尊い神の山であった。異変があると山腹にカムイシュネ(神の炬火)が灯るさまが眺められたという。山鳴りがするような時は、大吹雪や天然痘(疱瘡)の流行などの兆しとして警戒し、本当に天然痘の流行が始まればこの山に逃げ込み、神の加護を願った。江戸時代末期、松浦武四郎は、1859年(安政6年)の『後方羊蹄日誌』において、「エンガルシベ」は往古より深く信仰される山であり、ここに「蝦夷総鎮守の宮」を建てるよう意見を記している。 明治時代に入植した初期の和人たちは、インカルシペ山(インカルシペヌプリ)の意味および発音から、当初は「眺臨山」や「笑柯山(えんがるやま)」と称した。しかし、「モイワ」(小さな山)と呼ばれていた隣の小山に「円山」の字があてられると、「円山」はモイワやインカルシペのある山岳の総称ともなった。やがてモイワとインカルシペを取り違え、「インカルシペ」を藻岩山、「モイワ」を円山と呼び習わすようになり、そのまま地名として定着してしまった。
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