イタリアでの有罪判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/01 04:17 UTC 版)
「テオドール・ゼーフェッケ」の記事における「イタリアでの有罪判決」の解説
1994年5月にエーリヒ・プリーブケに関する資料の捜索が始まった事を受け、イタリアは再びゼーフェッケに関する調査に着手し、彼に関する1960年以前の記録の収集が始まった。プリーブケに関する捜査の最中、偶然にもナチス・ドイツ時代の戦争犯罪に関する当時の文書が大量に保管されたキャビネット(恥の棚(ドイツ語版))が発見された。 1997年11月、「恥の棚」の文書を対象にゼーフェッケに関するものの捜索が開始される。当時、ゼーフェッケはオスナブリュックにほど近いバート・ローテンフェルデにて年金生活者として暮らしていた。イタリア政府当局はトリノ軍事法廷への出廷を求めたが、ドイツ連邦共和国のいかなる場合でも自国民を他国へ引き渡さないという原則もあり、ゼーフェッケは現れなかった。1999年6月9日、同軍事法廷は欠席裁判のまま1944年8月の民間人殺害についてゼーフェッケに終身刑を言い渡した。2000年、ゼーフェッケはドイツ国内で死去した。
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