イギリスがもたらす平和と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 09:07 UTC 版)
「アクバル2世」の記事における「イギリスがもたらす平和と死」の解説
こうして、アクバル2世の治世はイギリスが全土を侵略するなか、その保護によってもたらされる平和を享受する形となった。 アクバル2世はその治世、宮廷儀礼とデリーをねり歩く大行列に精を出し、おもな政務はイギリスの死刑判決を確認する程度だった。イギリスの植民地行政官トーマス・メトカーフは、アクバル2世についてこう語っている。 「 「(アクバル2世は)穏やかで、慈悲深い君主である。だが、不運だった父帝(シャー・アーラム2世)や先帝(アーラムギール2世)が過ごした困難な時代よりは、イギリス政府の保護のもとで統治するほうが相応しい人物といえる」 」 このように安定した情勢のなか、1837年9月28日に皇帝アクバル2世は帝都デリーで死亡した。アクバル2世の死後、息子のミールザー・アブー・ザファルがバハードゥル・シャー2世として新たな皇帝となった。
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