アーファーキーヤ(白山党)
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「カシュガル・ホージャ」の記事における「アーファーキーヤ(白山党)」の解説
詳細は「白山党(中国語版)」を参照 ホージャの別の系統はアフマド・カーサーニーの長男のイーシャーニ・カラーン(ムハンマド・アミーン)のものであった。 最初に東トルキスタンを訪れたのはムハンマド・アミーンの子のホージャ・ユースフ(中国語版)(? - 1652年/53年)であった。ホージャ・ユースフの子がホージャ・アファークであった。この系統は、アーファーキーヤまたはイーシャーニーヤまたはアクタグルク(白山党)と呼ばれた。 白山党は、黒山党(イスハーキーヤ)との抗争に敗北し、東トルキスタンを追放され、1671年から1672年にかけて西寧に移り、そこで布教に成功し、おおくの中国ムスリム信徒(回民)を獲得した。 白山党の一派にアーファーク統がある。
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